下のアナログ編集長の記事を先に読んでください。
はい、私が読売ウイークリー野球部監督を務めています。
かつては俊足巧打の名ショートとして鳴らしたものですが、
鳴らしたのは小学4年生のころですから40年も経ってしまいました。
社内野球にはもう20年ほど出続けています。
最初のうちはサード、ショートを守り、打順も上位を任されていたのですが、
左方面からはファーストまで届かなくなってセカンドに移り、
今はもう投げなくてもいいファーストが定位置となり、
それも序盤で交代がお約束です。
それでも今年はレッドソックス仕様のユニフォームまで新調し、
二回も練習するなど、これまでになく力を入れています。
二回戦は昨年優勝チームですから勝ち目はなく、一回戦の政治部戦がすべてです。
恒例の監督賞として、
「10万円になるかもしれない札幌記念勝ち馬投票券1000円分」も提供します。
各員一層奮励努力せよ!
(苦悶デスクこと木村透)
2007/08/31
社内野球!
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編集長の「あなろぐ日記」
事前の備え
木村ちゃんと、かぶるかも知れませんが、今週は社内野球の話です。社内野球のトーナメント戦で今度の日曜にウイークリー編集部が政治部と対戦するのです。
前に書いたかも知れませんが、私はプロ野球も高校野球も観るのは好きですが、やるのはからきし下手、というより少年時代から野球をほとんどやったことがないのです。それで、編集部チームの監督も、かつての野球少年の木村ちゃんにお願いしましたし、当日も応援に行くでもなく、インドアでテニスのレッスンを受けていると思われます。
冷たいような行動ですが、それでも勝ったと聞けば、もちろん、喜びます。ただ、社内野球で強いのは制作現場で、ほかに巨人軍なんてのもありますが、別に高橋由が出るわけでもないので、大して強くありません。弱いのは政治部とか、私がいた経済部とかの編集局の各部、それにウイークリーのような所でしょう。ところが、その経済部が昔、奇跡のように3回も勝ったのです。
理由は簡単で、チームの結束が強かったからでも何でもなく、選手に九州・西部本社の経済部から出向していたW記者というのがいて、彼はかつて宮崎何たら高校(すみません忘れました)で甲子園に出場、見事、ベンチ入りを果たした名プレイヤーだったのです。(唄も大変上手でした。)
ここからは実際に観た人から聞いた又聞き情報になりますが、だから、グラブさばきとか、スローイングが全然、他の選手とは違っていて、スイングもダウンスイングとかで、球の飛びが違っていたそうです。
新聞記者にも、たまにそういう人がいるのです。噂では今度の対戦相手の政治部にも、そのような若手がいるようで、当日に何とか欠席させたいと、政治部出身のウイークリー編集部員2人がいろいろ工作中です。
ところで、この前、NHK総合テレビを観ていたら、先の甲子園の決勝で対戦した佐賀北と広陵のルポルタージュのような番組をやっていました。何に感心したかというと、佐賀北の監督が普段の練習で選手に常に甲子園を意識させていた、という点です。キャッチボールをやるにも、外野からの中継プレーのようなスタイルをとるし、スクイズされた時のグラブパスも普通に練習でやっているのです。だから選手も本番で、慌てないんだなと感じました。
何年か前にも、このような番組で、例の松坂と上重が投げ合った横浜とPLの特集をやっていました。その時はもっと、びっくりしました。正確には覚えてませんが、PLの特定の選手が3塁からホームに突入するのをどうやって防ぐか、3塁手がキャッチャーのどこら辺に返球したら、うまく刺せるかを、横浜の選手たちが日頃、研究・練習していたというのです。
だいたい、甲子園に出られるか分からないし、出てもPLと当たらない確率の方が多い。それに練習した状況になんかーーと考えると気が遠くなりますが、現実問題として、あの試合でそういう状況があって、横浜は本塁封殺したのでした。
ああいうチームは、そういう気の遠くなるような事前の備えをしているから、自信を持ってプレーできるのでしょう。話は戻ります。この前、仕事の合間に我がチームの出場選手たちに勝算を聞いたら、自信たっぷりに言ってました。「大丈夫ですよ。2回も練習しましたから」
おしまい
(「あなろぐ編集長」こと重田育哉)
木村ちゃんと、かぶるかも知れませんが、今週は社内野球の話です。社内野球のトーナメント戦で今度の日曜にウイークリー編集部が政治部と対戦するのです。
前に書いたかも知れませんが、私はプロ野球も高校野球も観るのは好きですが、やるのはからきし下手、というより少年時代から野球をほとんどやったことがないのです。それで、編集部チームの監督も、かつての野球少年の木村ちゃんにお願いしましたし、当日も応援に行くでもなく、インドアでテニスのレッスンを受けていると思われます。
冷たいような行動ですが、それでも勝ったと聞けば、もちろん、喜びます。ただ、社内野球で強いのは制作現場で、ほかに巨人軍なんてのもありますが、別に高橋由が出るわけでもないので、大して強くありません。弱いのは政治部とか、私がいた経済部とかの編集局の各部、それにウイークリーのような所でしょう。ところが、その経済部が昔、奇跡のように3回も勝ったのです。
理由は簡単で、チームの結束が強かったからでも何でもなく、選手に九州・西部本社の経済部から出向していたW記者というのがいて、彼はかつて宮崎何たら高校(すみません忘れました)で甲子園に出場、見事、ベンチ入りを果たした名プレイヤーだったのです。(唄も大変上手でした。)
ここからは実際に観た人から聞いた又聞き情報になりますが、だから、グラブさばきとか、スローイングが全然、他の選手とは違っていて、スイングもダウンスイングとかで、球の飛びが違っていたそうです。
新聞記者にも、たまにそういう人がいるのです。噂では今度の対戦相手の政治部にも、そのような若手がいるようで、当日に何とか欠席させたいと、政治部出身のウイークリー編集部員2人がいろいろ工作中です。
ところで、この前、NHK総合テレビを観ていたら、先の甲子園の決勝で対戦した佐賀北と広陵のルポルタージュのような番組をやっていました。何に感心したかというと、佐賀北の監督が普段の練習で選手に常に甲子園を意識させていた、という点です。キャッチボールをやるにも、外野からの中継プレーのようなスタイルをとるし、スクイズされた時のグラブパスも普通に練習でやっているのです。だから選手も本番で、慌てないんだなと感じました。
何年か前にも、このような番組で、例の松坂と上重が投げ合った横浜とPLの特集をやっていました。その時はもっと、びっくりしました。正確には覚えてませんが、PLの特定の選手が3塁からホームに突入するのをどうやって防ぐか、3塁手がキャッチャーのどこら辺に返球したら、うまく刺せるかを、横浜の選手たちが日頃、研究・練習していたというのです。
だいたい、甲子園に出られるか分からないし、出てもPLと当たらない確率の方が多い。それに練習した状況になんかーーと考えると気が遠くなりますが、現実問題として、あの試合でそういう状況があって、横浜は本塁封殺したのでした。
ああいうチームは、そういう気の遠くなるような事前の備えをしているから、自信を持ってプレーできるのでしょう。話は戻ります。この前、仕事の合間に我がチームの出場選手たちに勝算を聞いたら、自信たっぷりに言ってました。「大丈夫ですよ。2回も練習しましたから」
おしまい
(「あなろぐ編集長」こと重田育哉)
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2007/08/30
つくばエクスプレス!
いつも通り、最寄りのJR南柏駅に到着すると、
見たこともないほどの人の波。
改札口付近はラッシュアワーの新宿状態で、体温が充満して蒸し風呂のようです。
タクシー乗り場は長蛇の列、
ロータリー近くのコンビニ前ではズラッと人が並んでケータイをかけています。
隣の柏駅で車両故障だそうで、
復旧にはまだ相当の時間がかかるというのです。
さて、困った。
以前ならじっと我慢するしかなかったのですが、
今ならつくばエクスプレスがあります。
家人に車で迎えに来てもらって、TXの駅に転進。
結局、いつもとそう変わらない時間に会社に着きました。
それで思い出したのが、この間総務相に就任した増田寛也大臣。
建設省のキャリア官僚、岩手県知事からの転身ですが、
はるか二十数年前、私が水戸支局で新米記者だったころ、
茨城県庁に常磐新線課長として出向してきていました。
今のつくば市はそのころ、研究学園都市と輝かしい名前で呼ばれ、
科学万博も開かれて、そのうえ5町村の合併話も持ち上がり、
新米記者としては重要な取材テーマだったのです。
さらに、東京とつくばを45分で結ぶ「常磐新線構想」、
つまり今のTXは、当時の茨城県民にとってはまさに夢の鉄道計画でした。
しかし、金額は忘れてしまいましたが、
東京都内の土地を買収してレールを敷くには、
確か数千億円にものぼる事業資金が必要とあって、
取材する側も半信半疑、
だれに取材しても「夢物語」といった反応だったのです。
仕事といってはそれまでですが、
35歳前後の若き増田氏は、机の上の地図を指差してこのあたりをこう開発して、
第三セクター方式でやればお金だって、
しかし、千葉県が消極的で、
などといろいろ教えてくれました。
今、TXに乗ると、千葉、茨城の両県の新線への熱意の違いがよくわかります。
秋葉原から北千住を通過して、
千葉県に入ったとたんに周囲は田んぼばかりとなり、
駅周辺での開発が今始まったところです。
さらに、北上して利根川を越えて茨城県守谷市に入ると、
今度はそこに、すでに熟して落ち着いた住宅街が広がっているのです。
新線を見越して20年前から開発が始まっていたわけです。
もちろん、この大事業を増田氏が一人で成し遂げたわけではありませんが、
もう少しほっそりしていた彼の孤軍奮闘にも見えた頑張りは、
新米記者の目に輝かしく映っていました。
そんなことを、今朝のトラブルで思い出しました。
増田さん、つくばエクスプレスができて本当に助かっています。
(苦悶デスクこと木村透)
見たこともないほどの人の波。
改札口付近はラッシュアワーの新宿状態で、体温が充満して蒸し風呂のようです。
タクシー乗り場は長蛇の列、
ロータリー近くのコンビニ前ではズラッと人が並んでケータイをかけています。
隣の柏駅で車両故障だそうで、
復旧にはまだ相当の時間がかかるというのです。
さて、困った。
以前ならじっと我慢するしかなかったのですが、
今ならつくばエクスプレスがあります。
家人に車で迎えに来てもらって、TXの駅に転進。
結局、いつもとそう変わらない時間に会社に着きました。
それで思い出したのが、この間総務相に就任した増田寛也大臣。
建設省のキャリア官僚、岩手県知事からの転身ですが、
はるか二十数年前、私が水戸支局で新米記者だったころ、
茨城県庁に常磐新線課長として出向してきていました。
今のつくば市はそのころ、研究学園都市と輝かしい名前で呼ばれ、
科学万博も開かれて、そのうえ5町村の合併話も持ち上がり、
新米記者としては重要な取材テーマだったのです。
さらに、東京とつくばを45分で結ぶ「常磐新線構想」、
つまり今のTXは、当時の茨城県民にとってはまさに夢の鉄道計画でした。
しかし、金額は忘れてしまいましたが、
東京都内の土地を買収してレールを敷くには、
確か数千億円にものぼる事業資金が必要とあって、
取材する側も半信半疑、
だれに取材しても「夢物語」といった反応だったのです。
仕事といってはそれまでですが、
35歳前後の若き増田氏は、机の上の地図を指差してこのあたりをこう開発して、
第三セクター方式でやればお金だって、
しかし、千葉県が消極的で、
などといろいろ教えてくれました。
今、TXに乗ると、千葉、茨城の両県の新線への熱意の違いがよくわかります。
秋葉原から北千住を通過して、
千葉県に入ったとたんに周囲は田んぼばかりとなり、
駅周辺での開発が今始まったところです。
さらに、北上して利根川を越えて茨城県守谷市に入ると、
今度はそこに、すでに熟して落ち着いた住宅街が広がっているのです。
新線を見越して20年前から開発が始まっていたわけです。
もちろん、この大事業を増田氏が一人で成し遂げたわけではありませんが、
もう少しほっそりしていた彼の孤軍奮闘にも見えた頑張りは、
新米記者の目に輝かしく映っていました。
そんなことを、今朝のトラブルで思い出しました。
増田さん、つくばエクスプレスができて本当に助かっています。
(苦悶デスクこと木村透)
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2007/08/27
企業に問われる「うつ対策」
7月に社内研修を受けたのですが、
その大きな柱のひとつが部下のメンタルヘルス対策でした。
長引く不況も一段落。
いま、弊社に限らず、各企業が頭を悩ませているのが、うつ社員の急増ではないでしょうか。
という次第で、弊誌9月9日号で「有名33社『うつ』実態と対策」という特集を組みました。各企業の最先端の取り組みを知れば、日本企業が置かれている現状が浮き彫りになり、うつに悩むサラリーマンの参考にもなるのではないかーー
というのが企画の趣旨です。
この記事のなかで、社会経済生産性本部メンタルヘルス研究所の今井保次・副所長は、
「近年、心の健康についても企業の安全配慮義務が問われるようになり、各企業はメンタルヘルス対策に真剣に取り組まざるを得ない状況になっている」
と述べています。
特集では、休職した社員が完全復帰するまでの特別な出社制度や、24時間電話相談、外部会社の活用などの先進事例を掲載しました。
実は、3年ほど前に、私も同様な企画で、各企業にアンケート調査をしたことがあります。そのときに比べ、社外に相談窓口を設置する企業が増えたほか、管理職研修や復職支援策を導入する企業が広がってきたのが判明しました。
しかし、一方で、うつ休職者は増える傾向にあり、うつ絶滅の特効薬は存在しないことも明らかになっています。今後は、いかに良い制度を導入するかではなく、いかにその制度を良く運用するかが問われることになると思います。
最後になりましたが、今回の特集を担当した奥田祥子が、『男はつらいらしい』という本を新潮社から出版しました。これは、3年前の弊誌の「結婚できない男たち」という特集がきっかけとなっています。ご愛読いただければ幸いです。
(エセ文人デスクこと下田 陽)
その大きな柱のひとつが部下のメンタルヘルス対策でした。
長引く不況も一段落。
いま、弊社に限らず、各企業が頭を悩ませているのが、うつ社員の急増ではないでしょうか。
という次第で、弊誌9月9日号で「有名33社『うつ』実態と対策」という特集を組みました。各企業の最先端の取り組みを知れば、日本企業が置かれている現状が浮き彫りになり、うつに悩むサラリーマンの参考にもなるのではないかーー
というのが企画の趣旨です。
この記事のなかで、社会経済生産性本部メンタルヘルス研究所の今井保次・副所長は、
「近年、心の健康についても企業の安全配慮義務が問われるようになり、各企業はメンタルヘルス対策に真剣に取り組まざるを得ない状況になっている」
と述べています。
特集では、休職した社員が完全復帰するまでの特別な出社制度や、24時間電話相談、外部会社の活用などの先進事例を掲載しました。
実は、3年ほど前に、私も同様な企画で、各企業にアンケート調査をしたことがあります。そのときに比べ、社外に相談窓口を設置する企業が増えたほか、管理職研修や復職支援策を導入する企業が広がってきたのが判明しました。
しかし、一方で、うつ休職者は増える傾向にあり、うつ絶滅の特効薬は存在しないことも明らかになっています。今後は、いかに良い制度を導入するかではなく、いかにその制度を良く運用するかが問われることになると思います。
最後になりましたが、今回の特集を担当した奥田祥子が、『男はつらいらしい』という本を新潮社から出版しました。これは、3年前の弊誌の「結婚できない男たち」という特集がきっかけとなっています。ご愛読いただければ幸いです。
(エセ文人デスクこと下田 陽)
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2007/08/24
中間報告!
何度も小欄で書いてきた「セミのぬけがら調べ」、
いよいよ27日発売号で中間報告を掲載します。
夏休みも残りわずか、自由研究でお困りのみなさん、ぜひ参考にしてください。
7月1日にスタート、初めは天候不順でどうなることかと心配しましたが、
暑さとともに順調に参加者は増え、
23日現在でキッズgooには約1000件の写真投稿が、
日本自然保護協会の方には約6000個のぬけがらの現物が届いています。
驚きなのは、キッズgooの特設サイトへのアクセス数で、累計で194万、
1日の最高は8万超にのぼりました。
先日、編集部で中間報告会議を開き、
ワイワイ言いながら、集まったデータをもとに原稿の内容を検討しました。
最終報告はまだ先になりますが、それでも結構興味深い結果になったと自負しています。
ダイジェスト版は、明日か明後日の読売新聞にも載るはずです。
応募の受付は8月31日まで。全体で1万件を超えたらうれしいのですが。
そうそう、馬インフルエンザで中止していた競馬も再開が決まりました。
本当に大丈夫なの?という記事を載せますが、ファンとしてはうれしい限りです。
先週末、競馬をやらない人の週末がこんなに味気ないものなのか、痛感していたので・・・失礼。
(苦悶デスクこと木村透)
いよいよ27日発売号で中間報告を掲載します。
夏休みも残りわずか、自由研究でお困りのみなさん、ぜひ参考にしてください。
7月1日にスタート、初めは天候不順でどうなることかと心配しましたが、
暑さとともに順調に参加者は増え、
23日現在でキッズgooには約1000件の写真投稿が、
日本自然保護協会の方には約6000個のぬけがらの現物が届いています。
驚きなのは、キッズgooの特設サイトへのアクセス数で、累計で194万、
1日の最高は8万超にのぼりました。
先日、編集部で中間報告会議を開き、
ワイワイ言いながら、集まったデータをもとに原稿の内容を検討しました。
最終報告はまだ先になりますが、それでも結構興味深い結果になったと自負しています。
ダイジェスト版は、明日か明後日の読売新聞にも載るはずです。
応募の受付は8月31日まで。全体で1万件を超えたらうれしいのですが。
そうそう、馬インフルエンザで中止していた競馬も再開が決まりました。
本当に大丈夫なの?という記事を載せますが、ファンとしてはうれしい限りです。
先週末、競馬をやらない人の週末がこんなに味気ないものなのか、痛感していたので・・・失礼。
(苦悶デスクこと木村透)
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編集長の「あなろぐ日記」
ポストシーズン
4月から始めたウイークリーのトークショー「時の人 旬を語る」は、8月は夏休みということでパスしました。9月は23日(日)にプロ野球の話を、野球解説者の達川光男さん、鹿取義隆さん、読売新聞OBの務台達之さんという面子でやろうと企画しています。
その頃になれば、ペナントレースもいよいよ終盤。今年からセでも始まるプレーオフ(何という名称だったか忘れました)や、日本シリーズの展望をしていただこうという趣旨です。
それまで、あと1か月ありますが、その時、セ・リーグはどうなっているのでしょう。ちょっと、好き嫌いを抜きにして、私の感じるままに思い描いてみるとーー
やっぱり、1位抜け球団を予想するのは難しいですね。巨人、中日、阪神、それに横浜までが有資格チームですが、それぞれの戦力を見てると、今年特有の事情があって予想しにくいのです。
というのも、この情勢で普通だったら、中日の優勝でしょう。先発は枚数も揃っていて、イキがいいし、攻撃も相変わらずソツがない。でも、決定的に痛いのは福留がいないこと。それに岩瀬も結構、打たれてて、信用できない。後ろは阪神の方が全然、いい。
それに対して、今年の巨人は強い。投手もいいのですが、例年と決定的に違うのは、高橋由も阿部も、ずっとケガをしないこと。この2人がフルに働いているのは何年ぶりでしょう。だから安定的に強い。でも、何かで躓きそうな気もする。
阪神はどうか。感じからすると、前半に勢いがあったのは横浜。後半は阪神です。でも、競り合った時、今の先発陣が持つかどうか。考えてみて下さい。去年に比べて、井川(大リーグへ転出)、安藤(ケガ)、福原(不調)の3人がいないのですから。
杉山、能見、下柳というのは投げてみないと分からない。阪神はここ4年ぐらい、先発が試合を大破壊することがあまりなかったのに、今年は、いっぱいあります。
その上で、エイヤっと即断すると、巨人か中日が1位になって、阪神がまず、中日か巨人と当たって…という構図が考えやすい。その時、阪神は絶対、2位でいたいでしょ。あの熱狂的な甲子園で準決勝シリーズをやれるし、勝てば、それを引きずって決勝シリーズに臨めるから(準決は2位のホームで…多分、そういうルールだったと覚えてます。違ってたら、ごめんなさい)。
これに対して、中日や巨人は、前述の理由で甲子園でやるのだけは嫌だけど、それ以外だったらアウェーでもいいと思っているはずです。阪神に似てるのが横浜。ここのファンも今年は結構、迫力がある(普段の年も結構、騒がしいが、何せ例年は来場者が少ない)ので、是非ともホームでやりたいでしょう。
も一つの論点は、各チームが本心から1位抜けを狙っているかどうか。巨人は1位を欲しがってる(特に監督が)感じがするけど、他の3つはどうかな、と思います。だって、2位で勝ち上がった方が実践感覚十分で強そうだから(ロッテと対戦した阪神は無惨でした)。特にピッチャーが一杯いる中日は、何連戦でもできるので、そう思うかも知れない。
てなことを、いろいろと考えられるので、初めはどうかなと思ったプレーオフも面白そうです。今週は単なる予想オヤジになってしまいました。
(「あなろぐ編集長」こと重田育哉)
4月から始めたウイークリーのトークショー「時の人 旬を語る」は、8月は夏休みということでパスしました。9月は23日(日)にプロ野球の話を、野球解説者の達川光男さん、鹿取義隆さん、読売新聞OBの務台達之さんという面子でやろうと企画しています。
その頃になれば、ペナントレースもいよいよ終盤。今年からセでも始まるプレーオフ(何という名称だったか忘れました)や、日本シリーズの展望をしていただこうという趣旨です。
それまで、あと1か月ありますが、その時、セ・リーグはどうなっているのでしょう。ちょっと、好き嫌いを抜きにして、私の感じるままに思い描いてみるとーー
やっぱり、1位抜け球団を予想するのは難しいですね。巨人、中日、阪神、それに横浜までが有資格チームですが、それぞれの戦力を見てると、今年特有の事情があって予想しにくいのです。
というのも、この情勢で普通だったら、中日の優勝でしょう。先発は枚数も揃っていて、イキがいいし、攻撃も相変わらずソツがない。でも、決定的に痛いのは福留がいないこと。それに岩瀬も結構、打たれてて、信用できない。後ろは阪神の方が全然、いい。
それに対して、今年の巨人は強い。投手もいいのですが、例年と決定的に違うのは、高橋由も阿部も、ずっとケガをしないこと。この2人がフルに働いているのは何年ぶりでしょう。だから安定的に強い。でも、何かで躓きそうな気もする。
阪神はどうか。感じからすると、前半に勢いがあったのは横浜。後半は阪神です。でも、競り合った時、今の先発陣が持つかどうか。考えてみて下さい。去年に比べて、井川(大リーグへ転出)、安藤(ケガ)、福原(不調)の3人がいないのですから。
杉山、能見、下柳というのは投げてみないと分からない。阪神はここ4年ぐらい、先発が試合を大破壊することがあまりなかったのに、今年は、いっぱいあります。
その上で、エイヤっと即断すると、巨人か中日が1位になって、阪神がまず、中日か巨人と当たって…という構図が考えやすい。その時、阪神は絶対、2位でいたいでしょ。あの熱狂的な甲子園で準決勝シリーズをやれるし、勝てば、それを引きずって決勝シリーズに臨めるから(準決は2位のホームで…多分、そういうルールだったと覚えてます。違ってたら、ごめんなさい)。
これに対して、中日や巨人は、前述の理由で甲子園でやるのだけは嫌だけど、それ以外だったらアウェーでもいいと思っているはずです。阪神に似てるのが横浜。ここのファンも今年は結構、迫力がある(普段の年も結構、騒がしいが、何せ例年は来場者が少ない)ので、是非ともホームでやりたいでしょう。
も一つの論点は、各チームが本心から1位抜けを狙っているかどうか。巨人は1位を欲しがってる(特に監督が)感じがするけど、他の3つはどうかな、と思います。だって、2位で勝ち上がった方が実践感覚十分で強そうだから(ロッテと対戦した阪神は無惨でした)。特にピッチャーが一杯いる中日は、何連戦でもできるので、そう思うかも知れない。
てなことを、いろいろと考えられるので、初めはどうかなと思ったプレーオフも面白そうです。今週は単なる予想オヤジになってしまいました。
(「あなろぐ編集長」こと重田育哉)
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2007/08/20
三人称のがん」の時代到来!
弊誌9月2日号で「がん闘病記で人生と家族を見直す」という特集を組みました。
担当した森かおりによると、都内の大手書店では、この5年ほどで、闘病記の置かれている棚のスペースが5倍以上になったといいます。そのなかでも、最大のスペースを占めているのが、がん関連。公開されたブログ日記を書籍化するのが最近の傾向だといいます。記事にも取り上げられていた、03年に出版された『31歳ガン漂流』(奥山貴宏著)などが、その火付け役。命を振り絞って、がんと闘う様子は多くの読者の胸を打ちました。
なぜ、がん闘病記がこれだけ出版されるのかーー。
3年ほど前に、がんの名医で日本赤十字看護大学客員教授の竹中文良医師に取材した際、次のような話を聞きました。
「がんには、一人称から三人称のがんがあります。自分自身がなったときが『一人称のがん』。『二人称のがん』は、夫婦や親子、きょうだいなど身近な家族がなった場合で、『三人称のがん』は、客観視できる立場の人がなったケースです」
弊誌は、それをもとに「二人称のがんと生きる」(04年7月11日号)という特集を掲載しました。身近な家族がなった際、どう対応すればいいのかという深刻な問題を検証しました。今週号で紹介された、『がんと向き合って』(上野創著)にも、夫婦でがんと闘う姿が描かれています。睾丸がんの夫の闘病記に、妻は<彼にとって死はいつも一人称だ。しかし、私の考える『死』はいつも二人称だ>と書き添えています。
しかし、このところのブームの背景にあるのは、「三人称のがん」ではないでしょうか。
元々、がん闘病記は患者の不安や疑問に答える数少ない情報源となっていたのですが、最近は、がんとは直接的に関わらない人もたくさん読んでいます。闘病記は、がんと向かい合うことで、それまで過ごしてきた人生や家族などを見直し、生きることの意味を改めて真剣に考える姿が描かれています。読者にとっては、闘病者のがんは、三人称ですが、そのひたむきな姿に共鳴し、自分の生き方の参考にするために闘病記を買い求める人が増えているのです。
一昔前、がん告知が進んでいなかったころは一人称のがんすら存在しませんでした。ところが、昨今は、三人称のがんも色濃く存在する時代になりました。
(エセ文人デスクこと下田 陽)
担当した森かおりによると、都内の大手書店では、この5年ほどで、闘病記の置かれている棚のスペースが5倍以上になったといいます。そのなかでも、最大のスペースを占めているのが、がん関連。公開されたブログ日記を書籍化するのが最近の傾向だといいます。記事にも取り上げられていた、03年に出版された『31歳ガン漂流』(奥山貴宏著)などが、その火付け役。命を振り絞って、がんと闘う様子は多くの読者の胸を打ちました。
なぜ、がん闘病記がこれだけ出版されるのかーー。
3年ほど前に、がんの名医で日本赤十字看護大学客員教授の竹中文良医師に取材した際、次のような話を聞きました。
「がんには、一人称から三人称のがんがあります。自分自身がなったときが『一人称のがん』。『二人称のがん』は、夫婦や親子、きょうだいなど身近な家族がなった場合で、『三人称のがん』は、客観視できる立場の人がなったケースです」
弊誌は、それをもとに「二人称のがんと生きる」(04年7月11日号)という特集を掲載しました。身近な家族がなった際、どう対応すればいいのかという深刻な問題を検証しました。今週号で紹介された、『がんと向き合って』(上野創著)にも、夫婦でがんと闘う姿が描かれています。睾丸がんの夫の闘病記に、妻は<彼にとって死はいつも一人称だ。しかし、私の考える『死』はいつも二人称だ>と書き添えています。
しかし、このところのブームの背景にあるのは、「三人称のがん」ではないでしょうか。
元々、がん闘病記は患者の不安や疑問に答える数少ない情報源となっていたのですが、最近は、がんとは直接的に関わらない人もたくさん読んでいます。闘病記は、がんと向かい合うことで、それまで過ごしてきた人生や家族などを見直し、生きることの意味を改めて真剣に考える姿が描かれています。読者にとっては、闘病者のがんは、三人称ですが、そのひたむきな姿に共鳴し、自分の生き方の参考にするために闘病記を買い求める人が増えているのです。
一昔前、がん告知が進んでいなかったころは一人称のがんすら存在しませんでした。ところが、昨今は、三人称のがんも色濃く存在する時代になりました。
(エセ文人デスクこと下田 陽)
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2007/08/17
防衛省人事
いや、ホントに暑いです。勤労意欲も湧いてきません。
私もまる1週間休んだのですが、実にめまぐるしく動き回りました。
まずは一族郎党7人を引率して、大阪の親戚回り。
私自身は35年ぶりで、50歳にもなって
「いやあ、大きくなって」と言われてしまいました。
先日小欄で書いた老父恒例の原爆話は、親戚との夕食の際にやはり始まり、
一同ありがたく根気よく聞きました。
帰った翌早朝には、級友の実家に泊まるという三男を乗せて福島までドライブ、
さらに翌日は義母の見舞いで水戸へ、なんと前日と同じ道を再びドライブ。
もうヘトヘトですが、釣りにも行かなくては、
と猛暑新記録の昨日、一人で銚子に釣行。
午前2時出発、深夜帰宅、炎天下の強行軍。
趣味というより炎熱修行といったありさまで、
そのうえ、狙った60センチ級のマゴチは気配もなく、
釣れたのは10センチ級のイシモチ2匹だけ。
この間、気になったニュースは防衛省の次官人事をめぐる争い。
初めに名前が出た西川徹矢官房長は警察庁出身で、
その昔、私が警視庁記者クラブにいたころの捜査2課長でした。
2課(汚職、詐欺、横領などの知能犯)と4課(暴力団)が私の担当でしたから、
毎晩、西川さんの官舎に夜回りに行きました。
キャリアといはいうものの、その年代の人が住む官舎ですから、そう広くはありません。
深夜のダイニングで禅問答のようなやり取りを数分。
数分といっても、毎晩ほぼ全社の記者が来るわけですから
終わるのは午前1時、2時になってしまいます。
そしてある日。西川さんから
「何もない時はあんまり夜遅いのは・・・。実は子どもが受験で」
という申し入れが記者クラブにありました。
課長はそういう立場だから、と受け入れることはできませんでしたが、
その後しばらくは早めに行くようにしていました。
ついさっきのニュース速報で、「次官は増田好平氏に」と流れてまたびっくり。
増田氏は、防衛庁記者クラブ時代の広報課長だったのです。
橋本総理による普天間基地返還、自衛艦が演習中に米軍機を誤って撃墜
といった大ニュースとともに、自らが関係者となったニュースもありました。
リムパックと呼ばれる自衛隊と、米、韓、豪などの海軍との合同演習が太平洋上で行われ、
それを取材に行ったときのことです。
米軍機に乗って航空母艦に着艦、
目の前でのミサイル発射などという滅多にない経験をして、
自衛艦からオアフ島に戻ることになりました。
対潜ヘリに各社の記者がじゃんけんで順番を決めて乗り込むことになり、
負けた私は、艦上で待っていたのですが、
なんと先ほど飛び立ったヘリが
ハワイの基地に着陸直後に炎上し、同乗の記者数人が負傷、というのです。
お、驚いたの何のって。
結論から言うと、負傷した記者は二人、1機40億だか、60億だかのヘリは全損。
記者のうち一人は脱出前後の緊迫ルポを当日社会面に送稿、
ハンディカメラを持っていた某民放記者は、
その晩のニュース番組で特ダネ映像とともに出演。
で、洋上に残っていた私を含めた記者数人は、
事故の全容はほぼわかっていたにもかかわらず、
電波状態が悪く、一行も原稿を送れませんでした。
夕刊の締め切りを完全に過ぎたころ、
重い心で自衛艦に乗ったまま、真珠湾に帰港。
これじゃ、東京に帰れないな、真っ黒に日焼けもしちゃってるし、
と心配していたのですが、
ちゃんと同期の前防衛庁担当記者が原稿を書いてくれていました。
防衛省人事、夏の陣を見て、いろいろなことを思い出してしまいました。
(苦悶デスクこと・木村透)
私もまる1週間休んだのですが、実にめまぐるしく動き回りました。
まずは一族郎党7人を引率して、大阪の親戚回り。
私自身は35年ぶりで、50歳にもなって
「いやあ、大きくなって」と言われてしまいました。
先日小欄で書いた老父恒例の原爆話は、親戚との夕食の際にやはり始まり、
一同ありがたく根気よく聞きました。
帰った翌早朝には、級友の実家に泊まるという三男を乗せて福島までドライブ、
さらに翌日は義母の見舞いで水戸へ、なんと前日と同じ道を再びドライブ。
もうヘトヘトですが、釣りにも行かなくては、
と猛暑新記録の昨日、一人で銚子に釣行。
午前2時出発、深夜帰宅、炎天下の強行軍。
趣味というより炎熱修行といったありさまで、
そのうえ、狙った60センチ級のマゴチは気配もなく、
釣れたのは10センチ級のイシモチ2匹だけ。
この間、気になったニュースは防衛省の次官人事をめぐる争い。
初めに名前が出た西川徹矢官房長は警察庁出身で、
その昔、私が警視庁記者クラブにいたころの捜査2課長でした。
2課(汚職、詐欺、横領などの知能犯)と4課(暴力団)が私の担当でしたから、
毎晩、西川さんの官舎に夜回りに行きました。
キャリアといはいうものの、その年代の人が住む官舎ですから、そう広くはありません。
深夜のダイニングで禅問答のようなやり取りを数分。
数分といっても、毎晩ほぼ全社の記者が来るわけですから
終わるのは午前1時、2時になってしまいます。
そしてある日。西川さんから
「何もない時はあんまり夜遅いのは・・・。実は子どもが受験で」
という申し入れが記者クラブにありました。
課長はそういう立場だから、と受け入れることはできませんでしたが、
その後しばらくは早めに行くようにしていました。
ついさっきのニュース速報で、「次官は増田好平氏に」と流れてまたびっくり。
増田氏は、防衛庁記者クラブ時代の広報課長だったのです。
橋本総理による普天間基地返還、自衛艦が演習中に米軍機を誤って撃墜
といった大ニュースとともに、自らが関係者となったニュースもありました。
リムパックと呼ばれる自衛隊と、米、韓、豪などの海軍との合同演習が太平洋上で行われ、
それを取材に行ったときのことです。
米軍機に乗って航空母艦に着艦、
目の前でのミサイル発射などという滅多にない経験をして、
自衛艦からオアフ島に戻ることになりました。
対潜ヘリに各社の記者がじゃんけんで順番を決めて乗り込むことになり、
負けた私は、艦上で待っていたのですが、
なんと先ほど飛び立ったヘリが
ハワイの基地に着陸直後に炎上し、同乗の記者数人が負傷、というのです。
お、驚いたの何のって。
結論から言うと、負傷した記者は二人、1機40億だか、60億だかのヘリは全損。
記者のうち一人は脱出前後の緊迫ルポを当日社会面に送稿、
ハンディカメラを持っていた某民放記者は、
その晩のニュース番組で特ダネ映像とともに出演。
で、洋上に残っていた私を含めた記者数人は、
事故の全容はほぼわかっていたにもかかわらず、
電波状態が悪く、一行も原稿を送れませんでした。
夕刊の締め切りを完全に過ぎたころ、
重い心で自衛艦に乗ったまま、真珠湾に帰港。
これじゃ、東京に帰れないな、真っ黒に日焼けもしちゃってるし、
と心配していたのですが、
ちゃんと同期の前防衛庁担当記者が原稿を書いてくれていました。
防衛省人事、夏の陣を見て、いろいろなことを思い出してしまいました。
(苦悶デスクこと・木村透)
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編集長の「あなろぐ日記」
夏の思い出
いやー暑いですね。皆様いかが、お過ごしでしょうか。私どもウイークリーの編集部スタッフは今日が仕事の再開日。それまで1週間ほど連続で休みを頂きました。この間は、どういったらよいのか、10数年ぶりぐらいの、尋常ではない暑さだったのでは。ホントに、どんピシャリのタイミングで休んだと思います。
それで夏休みは、どう過ごしていたのか。とりあえず、そのうち1泊は山中湖で過ごしました。爽快でしたよ、朝晩はクーラー要らずだし、それに朝方、富士山がバッチリ、全部見えたのでした。この宿泊施設には、もう10回近くきていますが、富士山が顔を出してくれたのは3回目ぐらいです。
ところで、私は昔、登山もしていないのに富士山に1か月近くいたことがあります。どういう事かというと、トラックとブルドーザーに揺られて山頂まで上がったのです。大学2年の夏にアルバイトニュースかなんかを読んで、山頂で登頂記念メダル(昔よくあったでしょ、ダイヤル式で名前などを刻印してゆくメダルです)を売るバイトに参加したのでした。
山口屋という、今も多分ある山小屋の軒先を借り、夜はそこで寝てました。私と数人の大学生はメダル売りのバイトなのですが、ほかに山口屋本体のバイトの大学生や高校生もいっぱいいて、合宿のような生活に。
かき入れ時はご来光の時ですから、午後8時には寝て、午前2時ごろから起き出します。寝る前に気圧が低い?ことを利用して缶ビールを一気飲みした後、50b走をやって、ぐてんぐてんに酔っぱらってみたり、高校生に米陸軍の人が登頂してきた時(結構、多い)に英語でどうやってメダルを売るか講義をしたり、嵐の時は紙で作った麻雀をしたり…いろんなことをしてました。
そうそう、たまに雑音以外に音声が聞こえるラジオで聴いたのが、例の高校野球の簑島・星稜戦です。
そんな記憶が、山中湖のホテルのベランダから眺めていて、ふっと蘇りました。あの時に一緒だった学生たちとは下山後、1回飲みました。さらに偶然に近所に住んでた学生が一人いたので何度か行き来しましたが、その後、音信がありません。
それだから、余計に懐かしくなるのかも知れません。今は、あの時、撮った何枚かの写真を眺めるだけです。
(「あなろぐ編集長」こと重田育哉)
いやー暑いですね。皆様いかが、お過ごしでしょうか。私どもウイークリーの編集部スタッフは今日が仕事の再開日。それまで1週間ほど連続で休みを頂きました。この間は、どういったらよいのか、10数年ぶりぐらいの、尋常ではない暑さだったのでは。ホントに、どんピシャリのタイミングで休んだと思います。
それで夏休みは、どう過ごしていたのか。とりあえず、そのうち1泊は山中湖で過ごしました。爽快でしたよ、朝晩はクーラー要らずだし、それに朝方、富士山がバッチリ、全部見えたのでした。この宿泊施設には、もう10回近くきていますが、富士山が顔を出してくれたのは3回目ぐらいです。
ところで、私は昔、登山もしていないのに富士山に1か月近くいたことがあります。どういう事かというと、トラックとブルドーザーに揺られて山頂まで上がったのです。大学2年の夏にアルバイトニュースかなんかを読んで、山頂で登頂記念メダル(昔よくあったでしょ、ダイヤル式で名前などを刻印してゆくメダルです)を売るバイトに参加したのでした。
山口屋という、今も多分ある山小屋の軒先を借り、夜はそこで寝てました。私と数人の大学生はメダル売りのバイトなのですが、ほかに山口屋本体のバイトの大学生や高校生もいっぱいいて、合宿のような生活に。
かき入れ時はご来光の時ですから、午後8時には寝て、午前2時ごろから起き出します。寝る前に気圧が低い?ことを利用して缶ビールを一気飲みした後、50b走をやって、ぐてんぐてんに酔っぱらってみたり、高校生に米陸軍の人が登頂してきた時(結構、多い)に英語でどうやってメダルを売るか講義をしたり、嵐の時は紙で作った麻雀をしたり…いろんなことをしてました。
そうそう、たまに雑音以外に音声が聞こえるラジオで聴いたのが、例の高校野球の簑島・星稜戦です。
そんな記憶が、山中湖のホテルのベランダから眺めていて、ふっと蘇りました。あの時に一緒だった学生たちとは下山後、1回飲みました。さらに偶然に近所に住んでた学生が一人いたので何度か行き来しましたが、その後、音信がありません。
それだから、余計に懐かしくなるのかも知れません。今は、あの時、撮った何枚かの写真を眺めるだけです。
(「あなろぐ編集長」こと重田育哉)
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2007/08/09
社内野球!
それにしても暑いですが、今日1日何とか乗り切れば夏休みです。
多くの週刊誌はお盆と正月、ゴールデンウイークに合併号を出して休みをいただきます。
気楽な商売だ、と思われるかもしれませんが、
これには印刷会社のお休みもからんでいて、
我々だけが「休みを返上する」といってもどうにもならない面もあるのです。
ま、それをいいことに・・・
と言われれば、はい、その通りです。
9月に開幕する社内野球大会用に新調したユニフォームが届きました。
松坂にあやかってレッドソックス仕様です。
格好はいいのですが、実力はといえば、
過去5年間すべて1回戦コールド負け。
去年のシーズン前の監督会議では、
「1回戦は前年負けた同士で闘うべきだ」
という建設的な意見を述べ、見事に採用されたのですが、
やはりコールド負けを喫してしまいました。
あと2年くらい負け続けると、
ひょっとしたら読売グループ最弱のレッテルを貼られてしまうかもしれません。
今年の1回戦の相手は、元甲子園球児がいるという政治部。
政局があわただしくなって、そいつが出られなくなれば・・・
と願わずにはいられません。
(苦悶デスクこと木村透)
多くの週刊誌はお盆と正月、ゴールデンウイークに合併号を出して休みをいただきます。
気楽な商売だ、と思われるかもしれませんが、
これには印刷会社のお休みもからんでいて、
我々だけが「休みを返上する」といってもどうにもならない面もあるのです。
ま、それをいいことに・・・
と言われれば、はい、その通りです。
9月に開幕する社内野球大会用に新調したユニフォームが届きました。
松坂にあやかってレッドソックス仕様です。
格好はいいのですが、実力はといえば、
過去5年間すべて1回戦コールド負け。
去年のシーズン前の監督会議では、
「1回戦は前年負けた同士で闘うべきだ」
という建設的な意見を述べ、見事に採用されたのですが、
やはりコールド負けを喫してしまいました。
あと2年くらい負け続けると、
ひょっとしたら読売グループ最弱のレッテルを貼られてしまうかもしれません。
今年の1回戦の相手は、元甲子園球児がいるという政治部。
政局があわただしくなって、そいつが出られなくなれば・・・
と願わずにはいられません。
(苦悶デスクこと木村透)
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2007/08/03
セミと原爆と
またもセミ企画の話です。
梅雨も明けて、ネットの特設サイトにはぬけがらの画像が、
日本自然保護協会には現物が順調に届き始めたようです。
で、手元には明日夕刊のゲラ。
読売の土曜夕刊には「週刊KODOMO新聞」と題した子供向けページがあるのですが、
そこにもセミ企画が大々的に掲載されます。
大雑把に言って縦20センチ、横35センチくらいでしょうか。
写真も4枚も入っていて、いや目立つこと。
同じページに、「週刊KODOMO新聞」の編集室からというコーナーがあって、
ひげづらで額が大きくせり上がった赤池記者の似顔絵が載っています。
彼は、社会部時代の後輩であると同時に、
社内では数少ない神奈川県立柏陽高校の後輩でもあるのです。
二重の先輩風を吹かせて、
実は決まっていた予定を変更してセミ企画を載せてもらった、というわけです。
しかもこんなに大きく。
別の社内の柏陽の後輩から、
銀座に柏陽高校OBが経営する居酒屋がある、と聞いています。
赤池君、お礼にそこで一杯ごちそうします。
酔うほどにまた先輩風を吹かしますけど。
さて次号の発売日は8月6日。
63回目のこの日にちなんで、オフタイム欄の映画コーナーで、
評論家の土屋好生さんは「夕凪の街 桜の国」を取り上げています。
原爆の後遺症がテーマの重い映画です。
映画といえば、マフィアかスパイかという私ですが、ぜひ観ようか、と。
実は私自身も被爆2世です。
帝国陸軍二等兵だった父親が爆心地近くで被爆しました。
ただ、ちょうどピカドンのその時、
掃除当番で両側が壁に囲まれた廊下の先に箒を取りに行っていて、
熱線、爆風を受けずに済みました。
放射能はどうだったかわかりませんが、
その後今まで父も、私も健康に過ごして来ました。
その父は、70を過ぎてから原爆手帳をもらいました。
自分では何の証拠も提示できなかったのですが、
厚生労働省がちゃんと調べてくれて発行してくれたそうです。
それを考えれば年金だって、ちゃんとできそうです。
この夏、その老親と大学進学した双子、高校進学した三男ら計7人で
大阪の親戚めぐりをします。
夕食ではきっと、豚児らに老父が上記のような原爆の話をします。
夏の度ですから、全員がもう暗記していますが、
みんな内心ではいつ終わるかと思いつつ、とりあえず神妙な顔をして聞いています。
私も祖父から「実はもう葬式をしていたんだ」と、
夏の度に数十回聞かされて育ちました。
我が家では、そうやって「語り継ぐ戦争」を実践してきました。
(苦悶デスクこと木村透)
梅雨も明けて、ネットの特設サイトにはぬけがらの画像が、
日本自然保護協会には現物が順調に届き始めたようです。
で、手元には明日夕刊のゲラ。
読売の土曜夕刊には「週刊KODOMO新聞」と題した子供向けページがあるのですが、
そこにもセミ企画が大々的に掲載されます。
大雑把に言って縦20センチ、横35センチくらいでしょうか。
写真も4枚も入っていて、いや目立つこと。
同じページに、「週刊KODOMO新聞」の編集室からというコーナーがあって、
ひげづらで額が大きくせり上がった赤池記者の似顔絵が載っています。
彼は、社会部時代の後輩であると同時に、
社内では数少ない神奈川県立柏陽高校の後輩でもあるのです。
二重の先輩風を吹かせて、
実は決まっていた予定を変更してセミ企画を載せてもらった、というわけです。
しかもこんなに大きく。
別の社内の柏陽の後輩から、
銀座に柏陽高校OBが経営する居酒屋がある、と聞いています。
赤池君、お礼にそこで一杯ごちそうします。
酔うほどにまた先輩風を吹かしますけど。
さて次号の発売日は8月6日。
63回目のこの日にちなんで、オフタイム欄の映画コーナーで、
評論家の土屋好生さんは「夕凪の街 桜の国」を取り上げています。
原爆の後遺症がテーマの重い映画です。
映画といえば、マフィアかスパイかという私ですが、ぜひ観ようか、と。
実は私自身も被爆2世です。
帝国陸軍二等兵だった父親が爆心地近くで被爆しました。
ただ、ちょうどピカドンのその時、
掃除当番で両側が壁に囲まれた廊下の先に箒を取りに行っていて、
熱線、爆風を受けずに済みました。
放射能はどうだったかわかりませんが、
その後今まで父も、私も健康に過ごして来ました。
その父は、70を過ぎてから原爆手帳をもらいました。
自分では何の証拠も提示できなかったのですが、
厚生労働省がちゃんと調べてくれて発行してくれたそうです。
それを考えれば年金だって、ちゃんとできそうです。
この夏、その老親と大学進学した双子、高校進学した三男ら計7人で
大阪の親戚めぐりをします。
夕食ではきっと、豚児らに老父が上記のような原爆の話をします。
夏の度ですから、全員がもう暗記していますが、
みんな内心ではいつ終わるかと思いつつ、とりあえず神妙な顔をして聞いています。
私も祖父から「実はもう葬式をしていたんだ」と、
夏の度に数十回聞かされて育ちました。
我が家では、そうやって「語り継ぐ戦争」を実践してきました。
(苦悶デスクこと木村透)
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中内功リターンズ
「ダイエーの中内さんの独占インタビューを取っていただけませんか」
私が、こうジャーナリストの大塚英樹さんに切り出したのは4年以上前になります。
当時のダイエーは巨額な有利子負債を抱え、その存続が注目されていた時期。
中内氏は、全役職から退いていましたが、そのときのダイエーをどう見ているか、
ぜひ話を聞いてみたかったのです。
それまで、私も3回ほど取材経験があり、
99年4月には、後継者やリストラ問題について聞きました。
1階の応接室で、紙コップに入ったミネラルウオーターを飲みながら語る中内会長(当時)の姿が印象的でした。
これは「週刊読売」(本誌の前身)に掲載されましたが、
大塚さんによれば、生前の中内氏の最後のロングインタビューになったそうです。
その直後からマスコミとの接触を一切避け、沈黙を守り続けたからです。
そんななか、大塚さんは唯一面談を許され、
2000年以降も50回にわたり密着取材を続行していたといいます。
それを知って、大塚さんにお願いをしたわけです。
幸い、大塚さんとは20年来の知り合いで、
某ホテルのバーでビールをがぶ飲みしながら、
いく度となく中内氏の話題を交わしたものです。
一度、話が進みかけ、大塚さんから取材テープを渡されたことがありました。
しかし、ある事情から中止になり、
結局、その後、中内氏の肉声を本誌に掲載することは叶いませんでした。
しかし、このほど大塚さんから死後2年を期に、
「中内論」を出版すると連絡が入りました。
お願いに行くと、出版の前に、
この本のエッセンスを本誌だけに掲載することを快諾してくれました。
8月19・26日合併号の特集「中内功 壮絶な晩年」では、
「自分はセントヘレナに流されたようなもの」と語っていたなど、
封印されてきたエピソードが存分にちりばめられています。
この続きは、9月2日号にも掲載しますので、ご愛読いただければ幸いです。
そして、末筆ながら、
大塚さんの「流通王――中内功とは何者だったか」(講談社)もよろしくお願いいたします。こちらは8月23日発売予定。力作です。
(ビールがぶ飲みデスクこと下田 陽)
私が、こうジャーナリストの大塚英樹さんに切り出したのは4年以上前になります。
当時のダイエーは巨額な有利子負債を抱え、その存続が注目されていた時期。
中内氏は、全役職から退いていましたが、そのときのダイエーをどう見ているか、
ぜひ話を聞いてみたかったのです。
それまで、私も3回ほど取材経験があり、
99年4月には、後継者やリストラ問題について聞きました。
1階の応接室で、紙コップに入ったミネラルウオーターを飲みながら語る中内会長(当時)の姿が印象的でした。
これは「週刊読売」(本誌の前身)に掲載されましたが、
大塚さんによれば、生前の中内氏の最後のロングインタビューになったそうです。
その直後からマスコミとの接触を一切避け、沈黙を守り続けたからです。
そんななか、大塚さんは唯一面談を許され、
2000年以降も50回にわたり密着取材を続行していたといいます。
それを知って、大塚さんにお願いをしたわけです。
幸い、大塚さんとは20年来の知り合いで、
某ホテルのバーでビールをがぶ飲みしながら、
いく度となく中内氏の話題を交わしたものです。
一度、話が進みかけ、大塚さんから取材テープを渡されたことがありました。
しかし、ある事情から中止になり、
結局、その後、中内氏の肉声を本誌に掲載することは叶いませんでした。
しかし、このほど大塚さんから死後2年を期に、
「中内論」を出版すると連絡が入りました。
お願いに行くと、出版の前に、
この本のエッセンスを本誌だけに掲載することを快諾してくれました。
8月19・26日合併号の特集「中内功 壮絶な晩年」では、
「自分はセントヘレナに流されたようなもの」と語っていたなど、
封印されてきたエピソードが存分にちりばめられています。
この続きは、9月2日号にも掲載しますので、ご愛読いただければ幸いです。
そして、末筆ながら、
大塚さんの「流通王――中内功とは何者だったか」(講談社)もよろしくお願いいたします。こちらは8月23日発売予定。力作です。
(ビールがぶ飲みデスクこと下田 陽)
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編集長の「あなろぐ日記」
1年
昨日の夜は暑かったですね。今年はどうせ、いつまでたってもホントの夏にはならないだろう、と天気を多少侮っていたので、気持ちの準備が出来ていませんでした。
今年はクーラーはまだ。昨夜も活躍したのは扇風機です。以前、私はモノを大切にするというか、昔からのモノを使い続ける癖があることを紹介しました。アナログのレコードやフィルムカメラ、はたまたマニュアルの自動車などです。
ちょっと意味合いが違いますが、この扇風機もまあ、その仲間です。私が81年に大学を卒業して、新聞社の金沢支局に赴任した時、千葉の実家から送ってきた荷物の中にあった品です。東芝製のこの扇風機は、つまり私が学生の時からで、その後、結婚して、子どもを育てて…というのを毎夏、見てきたことになります。
だから、夜中に回していても、うなるのです。もう、クルクル回りません。子どもの部屋には別の扇風機があるのですが、私ども夫婦にはこれしかないので、それでも使い続けています。
もちろん、もっと暑くなれば、クーラーのタイマーをかけて寝ます。そのクーラーも買ったのは千葉に帰ってきた年ですから86年でしょうか。こっちも、まだまだ動きます。家族からは電力消費の効率が悪いので環境問題の敵だ、などと非難されますが、買い換えて、無駄なゴミにするとか、有用な資金を新クーラーに投入することを考えたら、今のままの方が得策に思えます。
というわけで、ボロかどうかは別にして、クーラーを温存しながら、扇風機を使っている今は、例えば阪神ファンだったら、8回に4対0で勝っていて、ちょっと心配だから、久保田は使っちゃうけれど、ジェフも藤川も使う状況ではないな、と思っているような、そんな余裕があります。
ところで、編集長になって、1年が過ぎてしまいました。このブログも初めて書いたのは去年の8月4日です。まだ、やり足りない所だらけで、時にはイロンナことも言われますが、そうは言っても、週刊誌の作成というのは、こんなに面白いものなのか、という気持ちはずっと続いています。それがある限りは編集長をやらせてもらえれば、と思っています。
(「あなろぐ編集長」こと重田育哉)
昨日の夜は暑かったですね。今年はどうせ、いつまでたってもホントの夏にはならないだろう、と天気を多少侮っていたので、気持ちの準備が出来ていませんでした。
今年はクーラーはまだ。昨夜も活躍したのは扇風機です。以前、私はモノを大切にするというか、昔からのモノを使い続ける癖があることを紹介しました。アナログのレコードやフィルムカメラ、はたまたマニュアルの自動車などです。
ちょっと意味合いが違いますが、この扇風機もまあ、その仲間です。私が81年に大学を卒業して、新聞社の金沢支局に赴任した時、千葉の実家から送ってきた荷物の中にあった品です。東芝製のこの扇風機は、つまり私が学生の時からで、その後、結婚して、子どもを育てて…というのを毎夏、見てきたことになります。
だから、夜中に回していても、うなるのです。もう、クルクル回りません。子どもの部屋には別の扇風機があるのですが、私ども夫婦にはこれしかないので、それでも使い続けています。
もちろん、もっと暑くなれば、クーラーのタイマーをかけて寝ます。そのクーラーも買ったのは千葉に帰ってきた年ですから86年でしょうか。こっちも、まだまだ動きます。家族からは電力消費の効率が悪いので環境問題の敵だ、などと非難されますが、買い換えて、無駄なゴミにするとか、有用な資金を新クーラーに投入することを考えたら、今のままの方が得策に思えます。
というわけで、ボロかどうかは別にして、クーラーを温存しながら、扇風機を使っている今は、例えば阪神ファンだったら、8回に4対0で勝っていて、ちょっと心配だから、久保田は使っちゃうけれど、ジェフも藤川も使う状況ではないな、と思っているような、そんな余裕があります。
ところで、編集長になって、1年が過ぎてしまいました。このブログも初めて書いたのは去年の8月4日です。まだ、やり足りない所だらけで、時にはイロンナことも言われますが、そうは言っても、週刊誌の作成というのは、こんなに面白いものなのか、という気持ちはずっと続いています。それがある限りは編集長をやらせてもらえれば、と思っています。
(「あなろぐ編集長」こと重田育哉)
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